尖閣をもてあそんできたキッシンジャー(1970年代)~モンデール(1990年代) |
本ブログ名『スウェーデンは準核武装国です。スイスも準核武装国です。』に直接関係のある内容は、下記アドレスに書きました。

2013.10.19 01:22
【ワシントン=小雲規生】AP通信は18日、駐日大使を務めたフォーリー元下院議長が死去したと伝えた。84歳だった。
1997年から2001年の駐日大使時代には日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見直しや日本市場の規制緩和問題などに取り組んだ。
フォーリー氏は、副大統領も務めたモンデール氏の後任として駐日大使に就任。
下院議員時代から議員団を率いて日本を訪れるなど米政界きっての知日派として知られており、就任時には「親日的すぎる」との批判もあった。http://sankei.jp.msn.com/world/news/131019/amr13101901240000-n1.htm
フォーリー氏は、下院議長を務めた米国民主党の大物議員でした。
氏は、柔道を愛しブラジリアン柔術もたしなんでいた親日家でした。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
フォーリー氏は親日家でしたが、では彼の前任者はどうだったでしょうか。
彼の前任者は、元副大統領のモンデール駐日大使でした。元副大統領ですから、もちろん大物政治家です。
モンデール元駐日大使(wiki)

ところが、モンデール氏が駐日大使を離任してからフォーリー氏が駐日大使として日本に着任するまで、約1年も掛かっています。
http://japan2.usembassy.gov/j/amb/tambj-list.html
なぜ、1年近くもかかったのでしょうか。
実は、モンデール氏は、駐日大使として在任中に恐るべき問題発言をしているのです。
1996年9月15日、ニューヨーク・タイムズ紙は、モンデール駐日大使の「米国は(尖閣)諸島の領有問題のいずれの側にもつかない。米軍は条約によって介入を強制されるものではない」という発言を伝え、10月20日には大使発言について「尖閣諸島の中国による奪取が、安保条約を発動させ米軍の介入を強制するものではないこと」を明らかにした、と報じた。
(wiki)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6%E5%95%8F%E9%A1%8C
凄いですね。
アメリカ合衆国の駐日大使が、「日本の領土を米国は守らない」と宣言してしまったのです。
当然、モンデール氏の発言は日本国内で強い反発を生みました。
日本国民からは、
「アメリカが日本の領土を守る気がないなら、何のために日本各地そして沖縄に巨大な米軍基地があるのか」
「アメリカは日本を守る気があるのか」という声が上がったのです。
結局、モンデール駐日大使は大使を途中離任したのです。
そして、アメリカは、モンデールが離任してから約1年間、嫌がらせで駐日大使を送り込まなかったのです。
アメリカの言い分を推測すると、以下のようになります。
アメリカ「我がアメリカの保護国の分際で、領土主権を対外的に主張するな。保護国には外交権・軍事権が無いのだから、日本の領土を画定するための周辺国との調整は全て宗主国である我がアメリカ合衆国が行う。日本は銭儲けだけをやっていろ」
といった感じです。
田原総一朗氏が朝生で明らかにしたところによると、モンデールにそのような発言をさせたのは、キッシンジャー元国務長官らしいのです。田原氏に日本の外務省官僚が黒幕の存在を教えたそうです。
田原氏「モンデールが尖閣には日米安保は適用されないと言った。言わせたのはキッシンジャーだって外務省が言ってた」(朝生:平成8年(1996年))
キッシンジャー元国務長官

尖閣を巡る1960年代末からの米中両国の立場については、以前に僕のブログでも書きました。
実はアメリカは、泥沼のベトナム戦争から抜け出すために、北ベトナムに強い影響力を持っていた中国と取引をした可能性が高いのです。
その取引材料は、チャイナ(中国)の代表権を中華民国(台湾)から中華人民共和国(中共)に変更することと、尖閣領有権の曖昧化だったのです。
1970年代始めにそれらの取引を行った張本人が、ニクソン=キッシンジャーのコンビなのです。
http://kawanya.exblog.jp/21828517/