ケネディ大統領暗殺の黒幕はジョンソン副大統領でした。 |
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ケネディ大統領が暗殺されてちょうど50年となりました。
写真1

1、上の写真1は、ケネディ大統領暗殺事件(1963年11月22日)の現場であるテキサス州ダラス市の教科書倉庫ビルの6階に残されていた左手小指の指紋です。
この写真は、『ケ ネ デ ィ を 殺 し た 副 大 統 領 そ の 血 と 金 と 権 力 』(バー マクレラン著 文芸春秋 2005年11月第一刷)の550頁からのコピーです。
その著書の原題は、『BLOOD,MONEY&POWER HOW L.B.J. KILLED J.F.K.』(BARR McCLELLAN著)です。
これは、教科書を入れるダンボール箱から検出された指紋です。
ダンボールについた指紋は、ダンボールそのものが急速に指紋を吸い取ってしまうので、すぐに検出不可能になります。
すなわち、この指紋が検出できたということは、暗殺事件直後に行われた警察の鑑識班の指紋採取の数時間以内に何者かがダンボールを触ったということになるのです。
この指紋の左側が黒くなっているのは、この指紋の持ち主がその時に非常に緊張した精神状態にあり指に多量の汗をかいていたせいです。


次は、上の写真2の指紋です。
この指紋は、マック
彼は殺人罪で有罪になっています。
しかも、彼は長年に渡って、ジョンソン議員(副大統領になってからも!)の汚れ仕事を引き受けてきた人物とされています。
その汚れ仕事には数件の殺人も含まれていました。
なんと、上記2つの指紋が一致することが1990年代後半に確認されたのです。
素人目に見ても、指紋の中のNO.23から28まで、つまり指紋の下の部分の模様が非常によく似ているように思われます。
写真2の指紋を警察の記録保存所から入手したのは、ケネディ暗殺事件を長年に渡って調査し続けてきた元警察官のジェイ ハリソン氏です。
ハリソン氏は、複数の指紋鑑定の専門家に依頼して、一致しているという結論に至りました。
その辺りの経緯は、別の本である『JFK暗殺 40年目の衝撃の証言』(ウィリアム レモン、ビリー
今まで、CIA説・マフィア説・軍産複合体説・巨大石油業界説・キューバ説・ソ連KGB説といった色々な説がありましたが、すべて伝聞・証言と推測でしかなかったのです。
しかし、ジョンソン副大統領黒幕説には指紋の一致という物証があるのです。
指紋の一致は、DNA鑑定以上の信頼性がありますので、これで決定です。
ただ、この事件に興味のある方はご存知でしょうが、CIAの一部とマフィアの一部も協力していた可能性は大です。
なぜなら、キューバ侵攻作戦の失敗の責任をケネディ大統領に取らされたCIA副長官の弟が、当時のダラス市長でした。
その市長が暗殺当日の大統領パレードの道順の決定に関わった可能性があるのではないかとされているのです。
また、オズワルドを警察署内で射殺したジャック ルービーという風俗店経営者はマフィアと関係がある男でした。
ところが、上記『 ケ ネ デ ィ を 殺 し た 副 大 統 領 そ の 血 と 金 と 権 力 』には、CIAの一部が関与した可能性についての記述はなく、オズワルドがウォレスと一緒にケネディ目がけて射撃したとなっています。
しかしオズワルドが射撃するでしょうか。
大統領を狙って射撃した人間が、その後映画館にお金を払わずに入場して警察官にわざと包囲されて逮捕されるようなことはしません。
つまり、オズワルドは撃っていません。
オズワルドは囮であって、映画館に入るように命令されただけなのです。
彼自身は、おそらく、そうすることがケネディ大統領を守ることになるとか何とか言いくるめられていたのでしょう。
というわけで、『 ケ ネ デ ィ を 殺 し た 副 大 統 領 そ の 血 と 金 と 権 力 』には、正直言って怪しさもプンプンです。
ひょっとしたら、ジム ギャリソン検事が生前言っていたように、情報機関が組織を守るために何らかの影響力を行使して、色々な著者に色々な本を出版させているのかもしれません。
とは言っても、指紋は極めて強力な証拠ですので、指紋の一致に言及している点は大いに評価できます。
2、対して、後の方の『JFK暗殺 40年目の衝撃の証言』にはその手の怪しさは一切ありません。
この本の中で、フランスのジャーナリストのレモン氏が、ジョンソンとはどういう事を長年やってきた人間なのかを、詳細なインタビューで浮き上がらせているのです。かつインタビューの内容の裏づけをも丁寧に取っている力作だと思います。

アメリカという国は、今まで散々、やれ「アメリカは民主主義の国だ。自由の国だ」とか、「我が民主主義の国アメリカのメディアは、真実を追及する」だのと主張してきました。
しかし、20世紀の後半に副大統領が大統領暗殺の黒幕であるにもかかわらず政府も大手メディアも一緒になって揉み消しをやってきたのが、アメリカの真実の姿なのです。
中南米やアフリカの軍事独裁国と変わらない事を20世紀の後半にやっていたのです。
すなわち、ジョンソンがやった事は、クーデターです。
ではジョンソンは何故危険を冒してケネディを暗殺したのでしょうか。
実は、ジョンソンは、議員になりたての頃から業者と癒着して汚職疑惑テンコ盛りの政治家だったのです。
そういうジョンソンを司法長官のロバート
ケネディ兄弟対汚職政治家ジョンソンの戦いは、当然ジョンソンに不利でした。なぜなら、何と言っても相手は大統領なのです。
政治生命を絶たれる一歩手前まで追い詰められたジョンソンに残された次の手は、潔く副大統領の職を辞任するか、自分が大統領になるか、の2つに1つでした。
そしてジョンソンは後者を選んだのです。
大統領に昇格したジョンソンは、ケネディ暗殺事件の調査の詳細を公開することを2039年まで禁ずる措置を行いました。
もちろんそれは自らを守るためでした。
しかし彼らは真相を知ってはいるのです。
しかし、アメリカの恥を世界にさらすよりも、このままうやむやにする事がアメリカの国益に適う、と考えてしらばっくれているのです。アメリカの大手メディア共々です。
3、 日本国内のテレビでは、ビートたけし氏と久保純子さんが司会の番組で、この2冊を採り上げました。
共演者は、アメリカ人弁護士のケント ギルバート氏などでした。(鳥越なんとかという元サンデー毎日編集長もいました。)
その番組では、フランスのテレビ局が製作した暗殺の真実を追ったドキュメンタリーも一部流れました。
そのドキュメンタリーの製作には、著者のレモン氏(フランス人)が関わっています。
一部流れたのは、レモン氏の著書にでてくる大金持ちがジョンソンとの長年に渡る関係の中で知ったことを告白しているシーンでした。
アメリカの3大テレビでは放送できない内容ですから、フランスのテレビ局は頑張っていると思います。
ジョンソン副大統領

殺人犯マック

ダラスの暗殺現場

この番組の元ネタは、アメリカで放映された以下の番組でしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=jgNfQYpS1gQ
と、まあ米国に対して批判的なブログになりました。
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