中国 「北を止めたかったら、尖閣で譲歩しろ」 |
本ブログ名『スウェーデンは準核武装国です。スイスも準核武装国です。』に直接関係のある内容は、下記アドレスに書きました。
2012.12.19.にUPしたブログです。
尖閣諸島(沖縄県石垣市)の魚釣島
1、とうとう中国が、北朝鮮のミサイル・核問題と尖閣諸島の領有権をからめて米国に突きつけてきました。
関西テレビ『アンカー』での生放送中に速報として流れました。
関西テレビと同系列のフジテレビのFNNニュースから引用します。
米中実務者協議 中国側、北朝鮮追加制裁条件に尖閣問題持ち出す
FNNニュース 12月19日
北朝鮮による事実上の弾道ミサイル発射を受けたアメリカと中国の実務者協議で、中国側は追加制裁の条件として、「尖閣諸島問題で、日本を何とかしてほしい」と求めていたことがわかった。
アメリカ政府筋が、FNNに明らかにしたもので、先週、中国・北京で開かれた協議の場で、アメリカ側が「北朝鮮に新たな制裁を科すことに協力してほしい」と依頼したところ、中国側は「では、尖閣諸島問題で、アメリカは、日本を何とかしてほしい」と回答し、日本に施政権があることを認めるアメリカの立場の変更を条件として挙げてきたため、アメリカ側は、これを拒否したという。
生放送中の上記『アンカー』では、山本キャスターと青山繁晴独立総合研究所代表が「呆れて物も言えません」と驚いていました。
そして青山氏が、「アメリカはこのような取引には応じません。中国はそんなことも分からないようですね」と発言していました。
2、しかし、事実は違います。アメリカはかつて1970年頃に尖閣の取引に応じた可能性が高いのです。
1960年代末のベトナム戦争末期、アメリカと南ベトナムの敗北が明らかとなっていました。
泥沼状態からの名誉ある撤退をしたいアメリカは、なんとか北ベトナムを交渉の席に着かせて停戦させることを望んでいました。
それで、当時の北ベトナムに強い影響力を有していた中国にアメリカは頭を下げたのです。
中国は、北ベトナムに軍事物資ばかりか兵員まで出して、北ベトナム対アメリカの戦争に協力していたのです。
その中国に頭を下げるために、ニクソン大統領が北京に行きました。決して毛沢東がワシントンに行ったのではなく、わざわざ米国大統領が足を運んだのです。
当然、中国は引き換えを要求します。
ニクソンのお土産は、中国(チャイナ)の代表権は中華民国(台湾)ではなく中華人民共和国にあると米国が認めることでした。
当然、日本政府とアメリカ政府との間に緊張が生じました。
しかし、アメリカは、現在に至るまで決して「尖閣諸島の領有権は日本にある」とは言いません。「尖閣諸島の施政権は日本にある」としか言わないのです。
典拠(ソース)は、雑誌『正論』2012年12月号(106ページ) 「日中・米中国交回復交渉の中の尖閣」(早稲田大学教授 有馬哲夫)です。
ニクソン図書館(HP)の中で「キッシンジャー文書」が公開されています。その文書を読み込んだ有馬教授が、「尖閣諸島の主権(=領有権)は日本に属する」と米国が決して言わない理由を推測しています。
すなわち、米国は、ベトナム戦争を終結させて名誉ある撤退を成し遂げるために中国との国交樹立を急いでいた中、中国を刺激したくなかったのです。
その停戦合意した後に米軍がベトナムから安全に撤退するのです。
その後に北が停戦合意を破棄して南を侵略・併合しても、悪いのは不法に破棄した北であってアメリカは負けていない、という形を作りたかったのです。
もしも、停戦がなされない場合、北が中国軍と共にアメリカ軍と南ベトナム軍を泥沼状態のままジリジリと疲弊させていくことになったのです。
そうなると、国内で厭戦気分が充満していたアメリカにとっては正に悪夢でした。
もちろん、強大なアメリカ軍相手の戦争で北ベトナムも膨大な数の犠牲者を出していましたので、停戦(事実上の勝利)に応じました。
3、沖縄返還協定が締結された1971年の直前、ニクソン大統領とキッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障担当)が尖閣の主権について話し合っています。
ニクソン
キッシンジャー
しかし、ニクソンとキッシンジャーは、尖閣における日本の残存主権を認め中華民国の主張を否定して日本への施政権の返還を決定したのです。