大日本帝国は大韓帝国を帝政ロシアの南下から守りました。 |
本ブログ名『スウェーデンは準核武装国です。スイスも準核武装国です。』に直接関係のある内容は、下記アドレスに書きました。
http://kawanya.exblog.jp/21494690/
2011.12.22.にUPしたブログです。
1、司馬遼太郎原作の『坂の上の雲』が、NHKでドラマ化され、放映されています。
普段、テレビドラマをほとんど見ないのですが、このドラマは半分位見ました。
12月25日(日)は、いよいよ最終回です。日本海海戦のクライマックス場面です。
日本の連合艦隊が帝政ロシアのバルチック艦隊を撃破するシーンが、最終回に描かれます。
http://www9.nhk.or.jp/sakanoue/
2、日露戦争は、その後の欧州の情勢に大きな影響を与えた歴史的な事件となりました。
どういう事かと言いますと、日露戦争に敗れたロシアに対して、日露戦争をロシアにけしかけたドイツが強大化したのです。
その結果、英仏露対ドイツという構図ができあがったのです。
また、日露戦争に従軍したロシア軍兵士の中に、フィンランド独立の英雄マンネルハイムや、イスラエル建国の英雄トランペルドールがいました。
彼らは、大日本帝国陸軍の精強さに感銘を受け、自らの祖国の独立・建国に邁進したのです。
http://ippeke.de-blog.jp/blog/2011/12/post_5634.html
http://blogs.yahoo.co.jp/zgenech/22149475.html
3、ところが、日露戦争の開戦経緯を、ほとんどの日本人が知りません。
「朝鮮半島を狙うロシア・日本の2国が戦争を始めた」的な感じの理解です。
日露という大国の間に、大韓帝国というある種の緩衝国が存在していました。
緩衝国とは、独仏の間のベルギー、独ソの間のポーランドなどです。
南部仏印に進駐したのが、大日本帝国陸軍でした。その南部仏印は、海を挟んでアメリカの植民地のフィリピンと向かい合っていました。
緩衝国に一方的にどちらかの大国が兵を進めると、2大国間のバランスが崩れて戦争の危機が到来します。
帝政ロシアが南下を窺っているのに、当時の大韓帝国は、あっちにふらふらこっちにふらふらしていました。
例えば、韓国皇室が駐韓ロシア大使館の中で執務をしたりしていたのです。韓国は自ら進んでロシアの属国になる一歩手前の状況だったのです。
更に、大韓帝国はロシア軍の基地用に国土のあちこちの土地を売っていたのです。日本も対抗して、それらの近くに用地を買いました。
そうです、当時の大韓帝国は国家の体を全く成していない国だったのです。
さらにエスカレートして、清韓国境最北西部の龍岩浦(韓国領)という場所にロシアが勝手に基地を造ってしまったのです。
ところが、韓国は抗議するどころかロシアとの間に租借契約を結んでしまいました(龍岩浦事件)。
これはまさに、韓国という緩衝国へのロシアによる一方的な軍事行動です。
このロシアの行為は、数年前に日露間で締結されていた西・ローゼン協定にも違反しました。
西・ローゼン協定では、日露がお互いに朝鮮半島での一方的な軍事行動を控えることになっていたのです。
龍岩浦事件を見た日本は、ロシアによる韓国侵略の軍事行動と見て戦争を決意しました。
当時既に締結されていた日英同盟の英国も日本の認識に同意し、日英同盟が発動されました。
http://ww1.m78.com/sib/russojapanesewar.html
よって、日露戦争は、日本による半島侵略ではなく、ロシアによる侵略から日本が半島を守るための戦いだったのです。
以上です。
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